漫画のために早退したい

読んだ漫画のてきとう過ぎる備忘録ネタバレ前提。他。

歌で誰かをぶん殴る 〜初ライブ雑記〜


先月参加した初ライブのレポ、感想などです。

終わった。そして始まった。
2017年3月26日。
歌が好きで、なんとなく上手くなりたいなと夏から通い始めたボーカルレッスン。
その教室開催のライブ。
私にとっての、初ライブである。
 
私は、例えば学祭で歌ったことも、カラオケ以外で大勢の前で歌ったこともないただの素人だ。
ただ、ライブというものは大好きだった。
そこでしか生まれない熱量や魂を見るのが好きだった。
 
規模の小さな、本当に小さなライブ。
ライブと銘打っているだけでどちらかと言えば発表会である。
しかし、「ライブ」と名の付くものに出るのが初めての私にとっては、
とても大切で、それは確かに「ライブ」なのだ。
   
私の出番は13組中、9番。
 
今回、アホなことにライブ三日前から風邪を引いてしまった。
喉はまったく本調子でない。
三日間、私は随分絶望した。
なんで今、声は出るのか、歌えるのか、
こわい、苦しい、痛い、つらい、悔しい。

肉体的にも精神的にも酷く追い込まれ、(勝手に自分を追い込み、)
そして迎えた初ライブである。
蜂蜜の飴を絶え間なく舐め、咳止めのツボをひたすら押しながら出番を待った。
 
今回、ライブに向けて色々な発声やメンタルトレーニングを試したが、
特に当日は”インカンテーション”という手法が大変役に立った。
スポーツチームなどで取り入れられている手法で、
「私は出来る」など分かりやすい言葉で自分を鼓舞し、
いいパフォーマンスが出来るように盛り上げていく。
一種の自己暗示らしい。
 
「私は歌そのものである」
「私の歌は天国まで届く」
私はこのふたつを、マスクの下でひたすらぶつぶつと繰り返していた。
 
8番目の歌が終わった。
身体を温めるために着ていたジャケットとストールを全部脱ぎ捨てて前へ出る。
観客は30名程度か。
ただの教室を借りたステージなので、客との距離が近い。
それだけに妙な緊張感がある。
 
とにかくこの場を自分のものにしなければ、と思った。
観客に飲まれるのではなく、私が客を飲まなければ。
 
私は歌で人を殴りたい。
 
これは言葉の錬金術師、寺山修司のパクリだ。
彼の「私は言葉で人を殴れるくらいにならなければ」という大好きな言葉をパクった。
 
私は歌で人を殴りたい。
私の歌で何かを感じてほしい。
人を揺さぶって、出来たら脳しんとうくらいは起こさせたい。
 
今回は父のギターで歌う。
舞台に出ると私の担当の先生が、
「ギターのセッティングもゆっくりやってもらっていいので。ゆっくり準備して」と囁いた。
この場に慣れろ、自分を見失わず、余裕を持て、ということだと分かった。
 
もう舞台に上がっているのに、
私はひたすらぴょんぴょん跳ねたり声を出したりストレッチを繰り返した。
ガチガチのまま、棒立ちで、自分のものでない場所で歌うのは嫌だと思った。
 

宇多田ヒカルが亡き母へ贈った歌として有名だが、
これは私にとって、祖母のための歌だ。

祖母は今年の一月に突然亡くなった。
その時に繰り返し聴いた曲。
直後にライブの歌決めがあって、もうこの曲しか歌えないと思った。
 
ギター、マイク、PA、父の準備が整う。
司会者が、そろそろいいですか?とアイコンタクトを取る。
 
ライブの序盤、2番手の人が歌う前に少しMCを挟んでいた。
あ、これだと思った。
私も、しっかり宣言してから歌いたい。
 
何も話さずイントロがかかり歌い出す人が9割の中、
打ち合わせなしのぶっっけだった。
先生もびっくりしただろう。
名前と曲名の紹介、ではどうぞ、という司会者の声の後。
 
「よろしくお願いします。大好きなおばあちゃんのために歌います」
 
歌より、この一節が一番緊張したかもしれない。
 
 
ギターが一度鳴って、歌い出す。
思ったより気持ちよく声が出る。
マイクの音量とリバーブが意外に強く、心地いい。
手が小さく震えて止まらないのを冷静に感じていた。
(後から知ったが、この震えは咳止めのためにつけていたホクナリンテープの副作用だった。笑)
 
もうここまで来たら、歌唱の細かい技巧にこだわる余裕はない。
声が出る出ないじゃない。ピッチすら関係ない気がしていた。
そんなものより、私の気持ちを全部乗せて、いま、出し切らなければ。
人を殴るように、天国に届くように。
 
練習ではほとんど開けられなかった目がしっかりと開いた。
想像より怖くなかった。
みんながこちらを見ているというより、私がみんなを見据えている。

ここはいま私の舞台だ、と感じた。
好きにしていい、自由に歌っていい。
誰も咎めない。何が何でもこれが私だと。
ああ、歌い手にとって舞台の上とはそういう場所なんだ、と実感した。
 
ひたすらに、頭の中に祖母との思い出が流れた。
少し泣きそうになった。
泣いたら歌えなくなるから泣かなかったけど。
 
”両手でも抱えきれない まばゆい風景の数々を ありがとう”
 
祖母と遊んだ夏の庭の草いきれを思った。
 
”世界中が雨の日も 君の笑顔が僕の太陽だったよ”
 
泣き疲れた朝に、祖母が作ってくれた味噌汁の味を思った。
 
一番最後の高いところは、
「音程が外れてもいいから血管切れるまで叫んで」と言われていたが、本当に音程もリズムも外れた。
でも血管は多分一本くらい切れた。
 
歌い終わって、深々とお辞儀をした。
赤の他人が、有限である人生の時間を使って私の歌を聴いてくれていたとか、どんな奇跡だと思った。
 
今日が一番。今日が最高の出来だった。

もう同じ歌は絶対に歌えない。
いや同じ歌なんてないのかもしれないけど。
でも同じ歌をまたライブで歌えって言われても、きっと今日みたいには歌えない。

祖母の死、初めてのライブ、直前の風邪、たくさんのつらいこと。
全部乗り越えて全部ぶつけたからあれが歌えたんだ。
天国に届いただろうか。
これできっと、私の中の祖母の葬式が全て終わった。
 
無事終わったことに安堵して力が抜けて、
ふと見たら母と、観に来てくれていた後輩ちゃんが目を真っ赤にしていた。
先生がすれ違いざまに「素敵だった。泣きそうになったよ」と言ってくれた。
観ていてくれただけでもありがたいのに、
何かを感じ取ってくれたことが更に、なんだか申し訳ないくらいありがたかった。
 
私にはソウルしかなかった。本当に。
もっと上手い人、もっと場慣れしている人も沢山いた。

先生の後ろで聴いていた人が途中で「おい、やべーな」と言っていたらしい。
何がやばかったのか?と思ったが、あとで撮影してもらったビデオを観たら分かった。
何か憑依してるんじゃないかと思うくらいぶち切れていた。
ほんとに、気持ちだけは一人前だったのである。
 
私の初ライブは終わった。
録画を冷静に見返してみると、うわーとか、あちゃーとかいう部分ばかりである。
とても荒削りで、いっぱいいっぱいで初心者で、聴けよ!という主張がものすごくて、手がぶんぶん動いていて。
 
やり切った満足感の中に、もっともっとという気持ちがある。
これが最初で、次はどんな歌が歌えるんだろうという気持ち。
 
出来たらずっと歌っていきたい。
歌に支えられ、歌にぶん殴られて、その魅力を追いかけここまで来てしまったのだから。
 
初ライブは終わったが、ここからまた何かが始まります。