2017/03/16 今日から第二の患者さん/青鹿ユウ
pixivコミックにて。今日は1〜6話まで。
オット(仮)ががんになっちゃった!?
看病を引き受けることになった妻(仮)は、
患者とその家族を取り巻くつらく厳しい状況と、周囲の「善意」の言葉にも振り回されてしまう。
ヘトヘトになった彼女がたどり着いた言葉「第二の患者」とは?
国民の二人に一人ががんになる時代、あなたもけっして他人事じゃありません!
いざというときためになる、全く新しい闘病エッセイコミック!!
知らない世界、未体験の世界、実在する普通の人間が普通に感じたことをありのままに綴るコミックエッセイが好きだ。
知人に直接体験談を聞くより生々しく、遠慮がなく、それによって私が泣こうが落ち込もうが、発信しなければ体験者には届かない。
「第二の患者」という言葉をこの漫画で初めて知った。
がんと分かったとき、治療が行なわれているとき、治療効果が得られたとき、再発が分かったとき、病状が進行して治る見込みがなくなったとき、残された時間が限られていると知ったとき──その時々で、患者さんと同様に、家族の心はさまざまに揺れ動きます。そうして精神的にも肉体的にも追い詰められ、不安・抑うつなどの心理的ストレスが認められるケースが多いことが、研究により明らかになってきました。
つまり、家族は患者さんと同様の感情を抱くことから「第二の患者」といえるのです。
第6話「ちょっとまって!アドバイス」
この中で作者は”人からのアドバイスはおなかいっぱいだ”とつらさを吐露する。
”何故!病人と家族は!心持ちを清くあれと!言われるのか!?”
アドバイスなんてなくても、身近な人がくれるいつもの普通が”第二の患者”である筆者の心を癒してくれる、という内容。
その内容ももちろん大切で、興味深く、自分を省みたが、何よりこれを漫画にして発表しようというのは相当勇気が要ったんじゃないかと思う。
今まで、善意でアドバイスしてくれた人たちが読む可能性は多大にある。その人たちに、穏やかながらはっきりと物申しているのだから、その心労は想像できる。
コミックエッセイとはこういうものなんだ。だから好きなんだ。
自分を切り売りしなければいけない。作品にしようと作家自身が決めたことだが、何人かの作家は「当時を思い出して描くのは、私生活を曝け出すのは、苦しかった」と名言する。
言葉にするのが何人かなだけで、おそらく全員が同じ思いを抱えながら、それこそ内容によっては命を削って差し出すような作品を生み出す。
明るかろうが暗かろうが、絶対に誰かが何かが犠牲になっている。
コミックエッセイってそういうものなんだ。